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2023.09.29
木村伊兵衛展―写真に生きる
写真家・木村伊兵衛は、スナップ写真の名手として有名ですが、写真家として様々な写真を撮影してきました。最初期は写真館を構えて営業写真を撮る傍らにアマチュア写真家として絵画的な芸術写真を制作した時期もありました。そして、プロとして花王石鹸広告部で広告写真を手がけます。その後、著名人のポートレートや舞台を撮影し、報道写真家で作るグループに所属して、日本の報道写真の第一線で活躍しました。撮影地や被写体も限ることなく、ヨーロッパ、中国といった外国、日本の都市部から農村部まで多岐に渡ります。本展では、彼の出発点となった「夢の島―沖縄」、戦後の代表作「秋田」を含む6章構成で木村伊兵衛の世界を紹介しています。
木村伊兵衛のスナップ写真の魅力
木村伊兵衛は、スナップショットの手法で何気ない日常を切り取った写真を数多く発表しました。テーマを強調、誇張せず、あるがままの日常をそのまま写真にしています。被写体の派手さ、社会的メッセージ性が強いものは少ないですが、時代が変わっても、私たちは木村伊兵衛の写真に魅せられます。
木村伊兵衛の写真は、中心となる被写体だけでなく、周囲の空気感まで画面に取り込んでいるようです。スナップ写真の多くは、見る者の視点を一点集中させず、画面の随所に視点を分散させる構図をとっています。写真から読み取ることが多く、見る者は視覚からたっぷりと情報を得ます。そして自然と、視覚情報を記憶にある音や匂いと照会したり、想像することで、臨場感が高まり、周囲の空気感というものを感じられるのだと推測します。
そして、最大の魅力は、何気ない日常に見える一瞬の心の揺れです。
筆者が一番それを感じる作品を紹介します。《添い寝する母と子,大曲,秋田,1959》は、子供を寝かせながら授乳する母親が捉えられています。周りをみると食事の支度も整っています。しかし、目の前にはぐずる子供、授乳で寝かしつけようとしますが、母親の視線の先には、何か早急に対応しなければいけないことがあるのでしょう。あれもこれもと、母親の表情に焦りが見えます。家事に子育てに追われる母親の心情が垣間見える瞬間となっています。
このように、人間の感情や人間性の追求を体当たりで行った秋田のシリーズは、単に農村部の人々の記録だけではなく、普遍的な人間の営みが捉えられています。木村伊兵衛は喜びだけではなく、焦りや悲しみといった被写体の心動いた瞬間を見逃さず、画面に定着させました。その写真を見ることで私たちもまた心が揺さぶられ、惹かれるのではないでしょうか。
《添い寝する母と子,大曲,秋田,1959》 © Naoko Kimura